
ランボルギーニ公式
ランボルギーニ イオタの本物について調べている方にとって、この車がどれほど特別な存在であるかは、すでにご存じかもしれません。1969年にわずか1台だけ製造されたこの車両は、ランボルギーニ・ミウラをベースに、ボブ・ウォレスが独自に手がけたレーシングプロトタイプでした。その特異な成り立ちや高い馬力、徹底的な軽量化により、まさに「幻のスーパーカー」と称されるにふさわしいモデルです。
しかし、イオタはその後の事故によって焼失し、現存していません。つまり、世界にイオタの本物は何台あるのかと問われれば、その答えは「ゼロ台」になります。現在流通している中古車や市場に登場する「イオタ」と呼ばれる車両の多くは、レプリカや改造車であり、なかでも「SVR」などの名称で知られる個体が高額で取引されています。
この記事では、イオタの所有者は誰だったのか、事故の経緯、レプリカと本物の違い、さらには現在の中古車市場や価格相場についても詳しく解説します。ランボルギーニ イオタの本物についての真実に迫り、その歴史と魅力を多角的に紹介していきます。
記事のポイント
- 本物のランボルギーニ イオタは現存しないこと
- イオタの製造背景と事故による焼失の経緯
- イオタとレプリカ(SVJやSVR)の違い
- 現在の中古車市場での価格や流通状況
ランボルギーニ イオタの本物は存在するのか?

MOTA公式
- ランボルギーニ イオタとは?
- 価格はどれぐらいか
- 所有者は誰だったのか
- 事故で焼失した経緯とは?
- イオタは現存しているのか?
- 世界に現存する台数は?
- イオタの馬力やスペックの詳細
ランボルギーニ イオタとは?

ラグジュアリーモーターズ・イメージ
ランボルギーニ イオタとは、1969年に1台だけ製作されたレーシング仕様のプロトタイプ車両で、正式名称は「J(ジェイ)」とされています。一般的には「イオタ」と呼ばれていますが、これはFIA(国際自動車連盟)のレース車両規定「付則J項(Appendix J)」に基づいて製作されたことに由来します。
イオタは、当時ランボルギーニ社のチーフテストドライバーであったボブ・ウォレス氏が主導して開発した特別な一台です。就業時間外に仲間と共に造り上げたこの車は、既存のランボルギーニ ミウラをベースにしながらも、フレームやボディ、エンジンに大幅な改良が施され、ほぼ完全に新設計に近い構成となっていました。
特徴的なのは、徹底的な軽量化と高出力化です。エンジンはV型12気筒で最高出力は440馬力に達し、車重は1トンを下回る950kg前後に抑えられていたとされます。さらに、燃料タンクを車体のサイドシル内に配置するなど、当時としては非常に高度な技術とアイデアが詰め込まれていました。
しかし、この車は販売を目的とした量産モデルではなく、レースに参戦することもありませんでした。実際、イオタは数万キロの走行テストを終えたのち、顧客の手に渡った直後にクラッシュ・炎上し、現存していません。この事故により、イオタは「幻のスーパーカー」と呼ばれるようになったのです。
現在「イオタ」と称される車両の多くは、このオリジナルJを模倣したレプリカやミウラの改造モデル(SVJやSVR)であり、あくまでも再現車です。それでもなお、イオタという名前は世界中の自動車愛好家を惹きつけてやまない、スーパーカーの象徴的な存在といえるでしょう。
価格はどれぐらいか

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イオタの価格は、モデルや状態、そして搭載されているパーツの真贋によって大きく異なります。そもそも「本物のイオタ」は現存していないため、現在流通しているのはすべてレプリカもしくはミウラをベースにしたコンバージョンモデルです。
この中でも特に高値で取引されるのが、ランボルギーニ本社や公式認定工房が手がけた「SVJ」や「SVR」と呼ばれるレプリカモデルです。例えば、世界に1台しかないとされる「イオタ SVR」(シャシーナンバー3781)は、近年では数億円単位で評価されることが一般的で、正規販売店やオークションでは4億円を超える金額で取引された記録もあります。
また、イオタのエンジンを搭載した希少なミウラも高額です。あるP400SVスペチアーレは、オリジナルイオタのエンジンを積んでいたことから、オークションで約4億6000万円(320万ポンド)という驚異的な価格で落札されました。
一方で、非公式なレプリカや個人製作によるコンバージョンモデルは、数千万円台で取引されるケースもありますが、製作精度や歴史的価値によって大きな価格差があります。中には、見た目だけイオタ風に改造された車両もあり、注意が必要です。
このようにイオタの価格は、レプリカであっても数千万円から数億円に達することもあるため、購入を検討する際には、車両の来歴や改造内容をしっかりと確認することが不可欠です。特に、シャシーナンバーや証明書の有無が価格に直結すると言っても過言ではありません。
所有者は誰だったのか

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イオタの所有者については、時代とともに複数の人物が関わってきました。ここでいう「所有者」とは、幻のオリジナルイオタ1台のことを指します。
最初にこの車を手にしたのは、ミラノ在住の実業家ジェリーノ・ジェリーニです。イオタは数万キロのテスト走行を終えた後、1970年にランボルギーニ社からジェリーニへと売却されました。ただし、販売はあくまでテスト車両としての扱いであったため、正式な市販車としての位置づけではありません。
その後、車両はヴァルテル・ロンキという人物を経由し、エンリコ・パゾリーニへと渡ります。パゾリーニはカーディーラーを営んでおり、顧客の代理として購入したともいわれています。
ところが、納車前のテスト走行中に大事故を起こし、イオタは炎上。車体は修復不能な状態となり、結果としてスクラップにされました。
この事故により、オリジナルイオタは姿を消し、現存しないことが確定的となりました。以降は、レプリカや派生モデルが「イオタ」の名前で語られるようになりますが、元のオーナーたちが誰だったのかという情報は、自動車史における重要なエピソードのひとつとして記録されています。
つまり、オリジナルのイオタを実際に所有したのは数名のみであり、彼らの手から世界中の憧れとなった幻の名車が生まれたといえるでしょう。現在では、このイオタの所有者リスト自体が価値あるストーリーの一部となっています。
事故で焼失した経緯とは?

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イオタが事故によって焼失した経緯は、非常に劇的であり、多くのカーファンにとって語り草となっています。この出来事が、イオタを「幻のスーパーカー」と呼ばせる決定的な要因となりました。
1971年4月、イタリア・ミラノ近郊でのことです。オリジナルのイオタは、最終的な所有者となったカーディーラーのエンリコ・パゾリーニの手に渡っていました。彼はこの車を顧客へ納車する前に、試運転を兼ねたテスト走行を行っていたのです。
テストが行われたのは、まだ開通していなかったブレシア近くの新しい高速道路でした。このとき、車にはパゾリーニとディーラーの同僚であるジョパンニ・ペデリネリが乗っていました。走行中、速度は230km/hに達しており、5速ギアに入れた瞬間、前方が浮き上がるように持ち上がり、そのまま車はコントロールを失います。
結果として、イオタは激しくクラッシュし、直後に炎上しました。2人の乗員は幸いにも命に別状はありませんでしたが、車体は完全に焼失し、修復不能と判断されたのです。オリジナルのイオタが存在していた期間は、わずか数年に過ぎませんでした。
この事故のあと、ランボルギーニ社は残されたエンジンのブロックだけを回収し、別のミウラ(シャシーナンバー4878)に搭載しました。そのエンジンにはドライサンプ仕様からウェットサンプ仕様へと改良が施され、別の車の一部として「生き残った」ことになります。
イオタの焼失は、単なる自動車事故を超えた象徴的な出来事でした。現存しないという事実が、かえってその価値や伝説性を高め、今日でも世界中のファンを惹きつけています。
イオタは現存しているのか?

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現在、オリジナルのランボルギーニ・イオタは現存していません。この車は1台限りのプロトタイプとして1969年に製作されましたが、1971年に発生した事故によって車体が炎上し、完全に失われています。
事故当時、テスト走行中に車両が高速でクラッシュ。燃料に引火し、車は全焼しました。
このとき車両に与えられていたシャシーナンバーは「#4683」であり、長年にわたり「本物のイオタ」と認識されてきました。その後の検証でも、この個体が唯一のオリジナルであったことが広く受け入れられています。
一方で、現在世界中で「イオタ」と称されている車両は、すべてレプリカやカスタムモデルです。たとえば、ランボルギーニ社が公式に手がけたレプリカとして「ミウラ SVJ」や「イオタ SVR」と呼ばれる車両が存在します。これらはオリジナルのスタイルや一部構造を再現していますが、オリジナルのイオタそのものではありません。
また、個人がミウラをベースに独自で改造を加えた非公式のレプリカも存在しており、外観だけイオタに似せた車も少なくありません。そのため、現存する「イオタ」と呼ばれる車の正体を見極めるには、シャシーナンバーや改造履歴など詳細な検証が必要になります。
このように、イオタという名を冠する車は世界に十数台存在するとされますが、それらはあくまで再現・模倣であり、唯一無二の「本物のイオタ」は現実にはもう存在していないというのが事実です。
世界に現存する台数は?

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現在、「イオタ」という名前で認知されている車両は、世界に十数台ほど現存していると考えられています。ただし、これらはすべてレプリカまたはカスタム仕様であり、オリジナルのイオタ(J)は存在していません。
この混乱を招いているのは、「イオタ」という名称が正式なモデル名ではなく、後からファンやメディアによって広まった通称であることです。本来、イオタは1台限りの実験的レーシングプロトタイプであり、事故により焼失しました。
その後、イオタに魅せられた富裕層やコレクターの強い要望に応える形で、ランボルギーニはミウラをベースにした「ミウラ SVJ」および「イオタ SVR」と呼ばれる少量のカスタム車両を製作しました。これらが今日「イオタ」と称されている車両の中心です。
シャシーナンバーが公式に確認されているSVJは10台前後、SVRは1台のみ(シャシー番号3781)とされており、これに加えて非公式のレプリカや個人の改造車両も数台存在します。これらすべてを合算すると、イオタ風の車両は世界で十数台前後と推定されます。
なお、レプリカであっても完成度が高く、歴史的価値のある個体は数億円単位で取引されることもあり、台数の少なさがその希少価値をさらに高めています。つまり、見た目はイオタであっても中身や由来は千差万別であり、1台ごとの来歴を正確に把握することが大切です。
イオタの馬力やスペックの詳細

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以下に、馬力を含むランボルギーニ イオタの主なスペックを表形式でまとめました。
項目 | スペック内容 |
---|---|
車名 | ランボルギーニ イオタ(J) |
製造年 | 1969年 |
台数 | 1台(現存せず) |
ベース車両 | ランボルギーニ ミウラ |
エンジン形式 | V型12気筒 DOHC |
排気量 | 3,929cc(4.0L) |
最高出力(馬力) | 約440ps / 8,500rpm |
トルク | 非公表(推定で40kg·m前後) |
トランスミッション | 5速マニュアル |
駆動方式 | MR(ミッドシップ・リア駆動) |
最高速度 | 約300km/h超(非公式) |
車重 | 約950kg(諸説あり、890kg~1,000kgの説も) |
フレーム構造 | 鋼管+アルミ合金構造(軽量化のための特別設計) |
サスペンション | コニ製レーシングサスペンション |
ブレーキ | ベンチレーテッド・ディスクブレーキ |
特徴装備 | ドライサンプ潤滑、埋込式ヘッドライト、軽量ボディ |
ランボルギーニ イオタの本物とレプリカの違い

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- レプリカの特徴と由来
- 世界で唯一のイオタ SVRとは
- ランボルギーニ ミウラとは?
- ミウラとイオタの関係性や違いを解説
- イオタの中古車市場と流通状況
- 画像で見る外観の違い
レプリカの特徴と由来

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イオタレプリカとは、1969年にランボルギーニが製作した幻の1台「イオタ(J)」をモデルに、後年さまざまな事情で再現された特別なミウラのことを指します。正確には、イオタのレプリカは「ミウラ SVJ」または「ミウラ SVR」と呼ばれることが多く、いずれもランボルギーニ社または第三者によって手作業で造られた限定車です。
まずレプリカの由来について説明します。もともとイオタは、ランボルギーニのテストドライバーであったボブ・ウォレスが就業時間外に製作した実験的なレーシング仕様の車両です。
彼の作ったイオタは、軽量化・高出力・空力性能に優れた設計が特徴で、FIAのJ規定(アペンディクスJ)に準拠する意図で作られていました。しかし、そのイオタは販売後すぐにクラッシュにより炎上し、完全に失われてしまいます。
この出来事の後、「イオタを再現してほしい」という声が世界中の富裕な顧客から届くようになります。そこでランボルギーニは、その要望に応える形で、既存のミウラをベースに「イオタ風」のカスタムモデルを少数だけ製作しました。
これが「ミウラ SVJ(Spinto Veloce Jota)」であり、さらにその中でも異彩を放つのが「ミウラ SVR」です。特にSVRは、唯一の個体(シャシー番号3781)であり、日本のスーパーカーブームにも多大な影響を与えた伝説的な存在です。
外観面では、イオタレプリカは埋め込み式のヘッドライト、ワイドフェンダー、ルーフウイング、チンスポイラーなど、オリジナルJに似たディテールを多く備えています。また、インテリアもレース仕様を意識したシンプルで機能的な造りになっており、一部にはロールバーやレーシングバケットシートが装備されていることもあります。
ただし、レプリカと言っても一台ごとの仕様や完成度には大きな差があります。ランボルギーニの工場で公式に製作された車両もあれば、専門ガレージや個人の手で改造されたものも存在します。そのため、「イオタレプリカ」という言葉の裏には、多様なストーリーと背景が込められているといえるでしょう。
イオタレプリカは、たとえ本物ではなくとも、オリジナルイオタのスピリットを受け継ぐ重要な存在として、今も世界中のコレクターから高い評価を得ています。
世界で唯一のイオタ SVRとは

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「イオタ SVR」とは、ランボルギーニが1970年代に1台だけ製作した特別なミウラのことで、世界にただ一台しか存在しない極めて希少なモデルです。この車両は、単なるミウラのカスタムではなく、幻のプロトタイプ「イオタ(J)」に強い影響を受けて生まれた“再解釈版”ともいえる存在です。
このSVRの起源は、1968年に生産された「ミウラ S」(シャシー番号3781)にさかのぼります。当初は通常のSモデルとして製造・出荷されましたが、1974年に日本の顧客向けに“イオタ仕様”へのコンバートが正式に行われ、ランボルギーニ社が公式に「SVR(Spinto Veloce Racing)」という名称で仕上げました。つまり、SVRはミウラベースのワンオフ・ファクトリーメイドのイオタレプリカと位置付けられるのです。
このモデルが特別視される理由は、見た目のインパクトと走行性能の両立にあります。見た目では、ワイドなブリスターフェンダー、ルーフ後端に装着された大型ウイング、ボンネットのエアアウトレット、そして埋込式ヘッドライトが特徴的です。ホイールはBBS製のメッシュタイプが採用され、ミッドシップに搭載されたV型12気筒エンジンは、約400馬力というパワーを発揮します。
また、このイオタ SVRは、日本のスーパーカーブームでも大きな話題を呼び、当時の子どもたちの憧れの的となりました。特に漫画『サーキットの狼』に登場した「イオタ SVR」の元ネタとも言われており、日本での知名度と人気が非常に高い1台です。
一方、SVRはレースカーではないため、あくまで“ロードゴーイング・レーサー”というコンセプトで設計されています。サスペンションや排気系、インテリアに至るまで徹底的にモディファイされており、ミウラの限界を押し広げた存在とも言えます。
現在では、このSVRは完全にレストアされ、世界的オークションハウスを通じて高額で取引されることもあります。希少性、デザイン、歴史、すべてにおいて圧倒的な価値を持つ1台であり、「世界で唯一のイオタ SVR」という称号にふさわしい名車です。
ランボルギーニ ミウラとは?

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ランボルギーニ ミウラとは、1966年に登場した世界初の量産型ミッドシップスーパーカーであり、自動車史に残る伝説的なモデルのひとつです。その美しいデザインと革新的なメカニズムは、以後のスポーツカーの在り方に大きな影響を与えました。
まず、ミウラの最大の特徴は、V型12気筒エンジンを横置きでリアミッドに搭載したことです。当時、大排気量エンジンをこのようなレイアウトで配置する市販車はほとんどなく、これによってミウラは比類なきバランスとコンパクトなプロポーションを実現しました。この構造は、ジャンパオロ・ダラーラを中心としたエンジニアチームによって開発されました。
デザインはベルトーネ社のマルチェロ・ガンディーニによるもので、流れるようなボディラインと「まつ毛」と呼ばれるヘッドライト周りの意匠が象徴的です。ジュネーブショーで正式発表された際には、圧倒的な注目を集め、世界中から注文が殺到しました。
ミウラはP400、P400S、P400SVという3つの主要バージョンがあり、それぞれ性能と装備が異なります。最終モデルのSVは最高出力385PSを誇り、リアフェンダーのワイド化やサスペンションの改良など、最も完成度の高い仕様とされています。
一方で、量産初期の設計には課題もありました。たとえば、エンジンとトランスミッションが一体構造でオイルを共有していたため、高負荷時の潤滑に課題があったとされています。また、空力的なリフトにより高速走行時の安定性に欠けるという指摘もありました。
このような課題を抱えつつも、ミウラは「芸術品」としての完成度が高く、今なお世界中のコレクターや愛好家から絶大な支持を集めています。そして、その派生・進化系として生まれたのが、幻の一台「イオタ」やそのレプリカたちです。
ミウラは単なるスーパーカーという枠を超え、デザイン、技術、情熱の結晶として今も語り継がれる名車なのです。
ミウラとイオタの関係性や違いを解説

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ランボルギーニ ミウラとイオタは深い関係を持つ2つのモデルですが、同時にその違いも明確です。簡単に言えば、イオタはミウラをベースに開発された、極めて特別な1台のレーシングプロトタイプです。
ミウラは1966年に登場し、市販を前提としたロードカーとして開発されました。ミッドシップに横置きされたV型12気筒エンジンと美しいボディデザインが特徴で、当時の市販車としては革命的な存在でした。フェルッチオ・ランボルギーニはレースへの参戦に否定的だったため、ミウラはあくまで高性能GTカーとして作られています。
一方で、イオタはそのミウラの限界を超えるべく、ランボルギーニ社のテストドライバーであるボブ・ウォレスによって1969年に開発されました。形式上は非公式なプロジェクトであり、就業時間外に開発されたという経緯があります。そのため、イオタはあくまで実験車両・ワンオフモデルであり、量産されたことはありません。
両者の最大の違いは「目的と構造」にあります。ミウラは公道走行が前提ですが、イオタはレース規定であるFIA付則J項に基づいた仕様で製作されています。シャシー構造も異なり、イオタでは鋼管とアルミを組み合わせて大幅な軽量化が施されており、車重はおよそ950kgに抑えられています。また、エンジンもドライサンプ潤滑を採用し、出力は約440馬力まで高められていました。
外観にも大きな違いがあります。ミウラはエレガントで曲線的なデザインが特徴ですが、イオタは空力を重視した機能的な外観で、埋め込み式ヘッドライトや大型のエアアウトレットなどが目を引きます。
このように、両者は出発点こそ同じであるものの、目的、性能、設計思想のすべてにおいて別物といえる存在です。イオタはあくまで“進化形”というよりも、“別次元”の挑戦であり、ミウラとは違ったベクトルでランボルギーニの限界に挑んだモデルだといえるでしょう。
イオタの中古車市場と流通状況

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イオタの中古車市場は、非常に限られた特殊な存在となっています。なぜなら、オリジナルのランボルギーニ イオタ(J)はすでに現存しておらず、中古市場に出回るのはすべて「レプリカモデル」だからです。
特に有名なのは「ミウラ SVJ」や「ミウラ SVR」といった、ミウラをベースにランボルギーニまたは外部の専門業者がコンバートした個体です。これらはレプリカでありながらも、希少性と完成度の高さから高額で取引されます。中でも、世界に1台しかないとされる「ミウラ SVR」は過去に日本で展示・販売されていた経緯があり、オークションでは数億円で取引された実績もあります。
現在、市場に出ている個体の多くは、ランボルギーニ公式の証明書が発行されたSVJモデルか、それに準じた仕様を持つコンバージョン車です。ただし、その価値はシャシーナンバーや改造の履歴によって大きく異なります。たとえば、ランボルギーニ本社でレストアを受けた車両であれば、価格はさらに高騰します。
一方、真偽不明な「自主制作型イオタ風ミウラ」も一部には存在します。これらはビルダーや個人によって製作されたものですが、見た目の完成度に反して信頼性や価値が大きく分かれるため、購入時は注意が必要です。
中古車情報サイトやクラシックカー専門のオークション会社でも、イオタレプリカの出品は極めてまれで、年に数台あるかないかという頻度です。また、日本国内で一時的に展示・販売されても、海外のコレクターの手に渡ることが多く、流通のサイクルは非常に限られています。
こうした事情から、イオタの中古車市場は「一般的なクラシックカー」とは一線を画しており、投資対象としても扱われるほどの希少価値を持っています。購入を検討する場合は、専門的な知識と信頼できる取引先の存在が不可欠です。
画像で見る外観の違い

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イオタの外観は、ベースとなったランボルギーニ ミウラと比べて明確に異なる特徴を持っています。画像を通して見ることで、その違いはより理解しやすくなります。
まず注目すべきはフロントマスクの変化です。ミウラがポップアップ式のヘッドライトを備えていたのに対し、イオタではアクリル製のカバーで覆われた埋込式ヘッドライトが採用され、空力性能を重視した設計になっています。また、フロントノーズには大型のエアアウトレットが設けられ、チンスポイラーも追加されており、視覚的にもアグレッシブな印象を与えます。
次にリアビューです。イオタはワイドなリアフェンダーを備えており、これにより12インチ幅のマグネシウム製ホイールと極太タイヤを装着可能としています。リアカウルはボルト止めの着脱式で、レーシングカー的な仕様をそのまま反映したものです。排気系もストレート構造に変更されており、エキゾーストパイプの取り回しもミウラとは異なります。
ボディの素材にも違いが見られます。イオタの外板には軽量なアルミニウム合金が使われ、鋼管スペースフレームとの組み合わせで軽量化が図られました。この工夫により、車重は950kg前後にまで抑えられ、見た目にも軽快さが感じられます。特にボディパネルのリベット止めがむき出しになっている点は、レーシング仕様ならではの無骨な魅力を持っています。
カラーリングにも注目したいところです。オリジナルのイオタはグレー系の無機質な色合いで仕上げられていたと言われていますが、後に製作されたレプリカモデルでは、レッドやシルバー、ブラックなど、多彩なバリエーションが存在します。画像比較では、この色味の違いからもオリジナルとの見分けがしやすくなります。
画像をもとに外観を比較することで、ミウラとイオタの設計思想の違い、そしてレーシングスピリットがどのように形として現れているかを理解できるでしょう。特にレストアやコンバージョンが行われたレプリカは、年式や仕様によって細部が異なるため、画像を用いた確認は重要な判断材料となります。
ランボルギーニ イオタの本物について総括
記事のポイントをまとめます。
ランボルギーニ イオタの本物は1969年に1台だけ製作されたプロトタイプ車両
正式名称は「J(ジェイ)」で、FIA規定の付則J項に由来している
開発はテストドライバーのボブ・ウォレスが就業時間外に手がけた
ベースはミウラだが、フレームやボディはほぼ新設計となっている
車体重量は約950kgとされ、軽量化を徹底していた
エンジンはV型12気筒で約440馬力を発揮する高性能仕様
ミッドシップレイアウトで駆動方式はMRとなっていた
公道用ではなくレーシング仕様のテストモデルであった
顧客に渡った直後、1971年にクラッシュして全焼した
現在、本物のイオタは現存しておらず、完全に失われている
事故で焼失した車体のシャシーナンバーは「#4683」であるとされる
本物のイオタを所有した人物は数人のみで、すべてイタリア国内の関係者
現在の「イオタ」はすべてレプリカまたは改造車である
ランボルギーニが公式に製作したレプリカとしてSVJとSVRが存在する
世界で「イオタ風」とされる車両は十数台ほど現存していると推定される