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ランボルギーニ ミウラは、1960年代から1970年代にかけて製造された伝説的なスーパーカーであり、今なお多くの自動車ファンから高い関心を集めています。本記事ではランボルギーニ ミウラは「日本に何台あるのか?」「日本人の所有者はいるのか?」と思っている方に向けて、日本国内における所有台数や代表的なオーナー、そしてミウラにまつわる詳細情報をお届けします。
ミウラの生産台数はわずか数百台と限られており、中でもSVやSVRといったモデルは特に希少で高い人気を誇ります。それぞれのモデルには明確な違いがあり、走行性能や装備、デザインにおいて個性が際立っています。また、試作車であるイオタとの関係や、特別仕様車の存在もミウラの魅力を語るうえで欠かせません。
現在、日本で実車を見る機会は少ないものの、ミウラは一部の施設で展示されたり、クラシックカーイベントで披露されることもあります。価格については、当時の新車価格からは想像もできないほど高騰しており、中古市場では数億円規模で取引されることも珍しくありません。
また、名前の「ミウラ」は日本の「三浦」と混同されることもありますが、実際にはスペインの闘牛牧場「ミウラ牧場」に由来しており、そこにはブランド創業者の美学と哲学が色濃く反映されています。日本人でミウラを所有していたことで知られる人物には、元プロ野球選手の山本昌氏がいますが、近年はディーノへと乗り換えたことも話題となりました。
この記事では、ランボルギーニ ミウラの歴史から各モデルの特徴、日本国内での流通や展示状況、中古市場での動向までをわかりやすく解説しています。希少な存在であるミウラの魅力に迫りながら、日本とこの名車との深いつながりをご紹介していきます。
ポイント
- 日本に現存するランボルギーニ ミウラのおおよその台数とその内訳
- 日本人オーナーの存在や具体的な所有事例
- ミウラ各モデル(SV、SVRなど)の違いや特徴
- ミウラの由来や日本との関係性に関する背景
ランボルギーニ ミウラは日本に何台あるのか?日本人の所有者は?

ランボルギーニ公式
- ミウラとは?生産台数の概要
- 日本には何台あるのか?
- ミウラSVとはどんな車か
- 現在の価格相場
- 当時の新車価格を解説
- 中古市場での動向
- 日本人オーナーとは
ミウラとは?生産台数の概要

ラグジュアリーモーターズ・イメージ
ランボルギーニ ミウラは、1966年から1973年まで生産されたイタリア製の高性能スポーツカーです。当時としては画期的なミッドシップレイアウトを採用しており、エンジンを車体中央に配置することで、運動性能と車体バランスを高める設計が話題となりました。この構造は現在のスーパーカーにとって標準ともいえるスタイルですが、当時は非常に斬新であり、多くのメーカーがミウラの影響を受けたとされています。
デザインはカロッツェリア・ベルトーネに所属していたマルチェロ・ガンディーニが担当し、流れるようなボディラインと特徴的な“まつげ”のようなヘッドライト周りの意匠が印象的です。見た目の美しさだけでなく、走行性能においても高い評価を受けており、現代に至るまで多くのファンを持ちます。
生産台数については、公式には合計約764台とされています。具体的には、初期モデルである「P400」が約275台、その改良型「P400S」が約338台、さらに性能を高めた最終モデル「P400SV」が約150台といった内訳です。これに加えて、ごくわずかな台数が特別モデルとして存在しており、例えばレース仕様に改造された「ミウラSVR」や、試作車「イオタ」なども知られていますが、それらは極めて限定的です。
このように、ランボルギーニ ミウラは総じて生産数が非常に少なく、希少性が高いことが特徴です。そのため、現在ではクラシックカー市場において非常に高額で取引される傾向があり、数億円規模の価格が付くことも珍しくありません。保存状態や履歴によっては、さらに価値が高まることもあります。
古くから自動車愛好家の間で「世界で最も美しいクルマの一つ」と評されてきたミウラは、単なる移動手段を超えた、芸術的かつ歴史的な存在として今も語り継がれています。
日本には何台あるのか?

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ランボルギーニ ミウラが日本に何台存在しているのかは、公的な台数が明確に公表されているわけではありません。しかし、専門家やコレクターの間では10台前後〜20台未満程度ではないかと推測されています。これは並行輸入や個人所有の履歴をベースにしたものであり、正確な数字は年式やモデル別でも異なります。
まず、ミウラシリーズは全世界で762台前後が生産されたとされており、そのうち「P400SV」は約150台、「P400S」は約338台、「P400」は約275台程度です。この中から、日本に正規輸入されたのはP400Sが中心で、1970年前後に数台がディーラーを通じて納車されました。当時の記録では、P400Sが数台確認されており、これは横浜や神戸港での引き渡し価格が設定されていたことからも裏付けられています。
一方で、P400SVに関しては正規輸入の実績がなく、1972年当時の日本では並行輸入や個人輸入が厳しく制限されていたため、国内に入ってきた台数は極めて少ないとされています。後年になってから海外から輸入された個体も含めれば、今日ではごく限られた数のSVが存在していると考えられます。
また、特別仕様の「SVR」も日本に現存している数少ないミウラの一台です。このモデルは1台のみ製造されたコンバージョン車で、長らく日本国内で保管・展示されていたことが知られています。
近年では、日本国内で開催されるクラシックカーイベントやオークションにミウラが出品されることもあり、それにより存在が確認される個体もありますが、その大半は非公開のプライベートコレクションに収まっているケースが多いため、一般に目にする機会は限られています。
こうした事情を踏まえると、ミウラは日本国内においても極めて希少な存在であり、台数もごくわずかであると理解しておくべきでしょう。その希少性から、現在国内に存在するミウラは高いコレクター価値を持ち、維持・保管に関しても相当な手間とコストがかけられています。
ミウラSVとはどんな車か

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ランボルギーニ ミウラSVは、ミウラシリーズの中で最終進化型にあたるモデルであり、1971年から1973年にかけて生産されました。SVは「Spinto Veloce(スピント・ヴェローチェ)」の略で、日本語に訳すと「より速くチューニングされた」という意味になります。つまり、性能面と走行安定性をさらに高めたグレードという位置づけです。
前モデルである「P400」や「P400S」との違いは多岐にわたります。まず最も注目されるのは、リアの足回りの大幅な改良です。これにより、従来のミウラで課題とされていた高速走行時の不安定さが改善されました。また、リアタイヤもワイド化され、トラクション性能やコーナリング性能も向上しています。これらの変更に伴い、車体後部のフェンダー形状が広がったこともSVの見た目の特徴のひとつです。
エンジンについても強化が加えられています。SVではキャブレターのセッティング変更や吸排気系の最適化により、最高出力は約385馬力まで向上しました。これにより、0-100km/h加速がわずか6.5秒前後と、当時としては非常に高い加速性能を誇っていました。ちなみに、P400Sは約370馬力とされていますので、性能の違いは数字にも表れています。
内装にも変更が加えられ、仕上げの質感や使い勝手の面で改良されており、よりラグジュアリーな雰囲気が強まりました。細部の意匠も変更されており、エンブレムの配置やメーターのレイアウトなど、細かい部分に差異が見られます。
一方で、ミウラSVは生産台数が少なく、約150台程度しか製造されていないとされています。この希少性もあって、現在では中古市場で非常に高額で取引される対象となっています。
このように、ミウラSVはシリーズの集大成ともいえる完成度の高いモデルであり、見た目・走行性能・価値のすべてにおいて特別な存在です。性能重視で進化した最終モデルであると同時に、コレクターズアイテムとしても際立った価値を持っています。
現在の価格相場

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ランボルギーニ ミウラの価格は、ここ数年で大きく上昇しており、クラシックカー市場の中でも際立った存在感を放っています。特に「P400SV」などの希少モデルは、もはや“芸術品”や“文化遺産”としての扱いを受けており、その価格は天井知らずといっても過言ではありません。
たとえば、2025年5月に開催された「RMサザビーズ MILAN オークション」では、ランボルギーニ ミウラP400SVが394万2500ユーロ(約6億6400万円)で落札されました。これは単なる市場価格の上昇を超えたインパクトを与えるものであり、過去の取引事例をはるかに上回る“事件級”の価格といえます。ちなみに2021年の段階でもミウラSVは3億円台で取引されていましたが、わずか数年でその倍近い価格を記録するに至ったのです。
価格がここまで高騰している背景には、複数の要因があります。まず、ミウラシリーズ全体の生産台数が非常に少なく、P400SVは約150台しか製造されていないとされる希少性が挙げられます。さらに、その中でもオリジナルの仕様を保ち、純正エアコンやスプリットサンプ潤滑システムなどの人気オプションを備えた個体は限られており、希少なスペックが揃った車両には世界中のコレクターが殺到します。
加えて、ランボルギーニ純正のレストア部門「ポロストリコ」による整備・認定が施された車両は、信頼性と価値の両面で特に評価されており、価格にさらにプレミアムが乗る傾向があります。ミウラが「ちゃんと走れるクラシックカー」として評価されるようになったのは、こうした専門的な手入れの存在が大きく寄与しているのです。
ただし、価格の高さに伴って注意すべき点も存在します。ミウラの維持には多額のランニングコストがかかり、部品の供給、専門技術者による整備、そして保険や保管環境まで含めると、年間数百万円以上の維持費が発生するケースも珍しくありません。こうした負担を考慮しないまま購入に踏み切るのはリスクを伴います。
とはいえ、コレクターズカーとしてのミウラは、今なお市場の頂点に君臨し続けています。クラシックカー市場全体の動向を映す“指標”ともいえる存在であり、その価格の推移は今後の投資価値や趣味車市場の流れを占うバロメーターともなるでしょう。
この先、さらに価値が上昇するのか、それとも一時的な過熱相場に過ぎないのか。いずれにしても、ランボルギーニ ミウラが現在のクラシックカー市場における最重要モデルの一つであることは間違いありません。
当時の新車価格を解説

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ランボルギーニ ミウラは、1966年に登場して以来、スーパーカーという概念そのものを定義づけた存在として知られています。流麗なデザインとミッドシップエンジンレイアウトは、当時の自動車業界に衝撃を与えただけでなく、その価格設定においても一般常識を大きく超えていました。
特に1970年に日本に正規輸入された「ミウラ P400S」の新車価格は、約1,200万円だったと記録されています。これは現在の価値に換算すると、約1億円前後にも相当するとされます。比較対象として、同時期に発売されていたトヨタ・センチュリーが約298万円、日産チェリーが約37.5万円という価格だったことを考えると、ミウラはその数倍から数十倍もの価格差があり、完全に“異次元のクルマ”という位置づけでした。
また、単に購入価格が高かっただけではありません。保険料、ガソリン代、部品の入手、修理体制など、維持にかかるコストや労力も圧倒的で、実際に所有できる人は限られていました。購入できたとしても、維持できるかどうかが大きな問題だったのです。これは、1970年代当時の日本ではまだ輸入車の整備環境が整っておらず、特殊な知識や人脈がなければ維持すら困難だったという背景も影響しています。
さらに注目すべきは「ミウラ P400SV」の存在です。このモデルは性能と装備がさらに向上した最終進化型ですが、日本には正規輸入されておらず、価格情報も明確には残っていません。当時は外国製品の並行輸入や個人輸入に厳しい制限があったため、SVが日本に入ってくるケースはごくわずか、台数にしても1桁程度とされており、「価格不明」あるいは「時価」とされることが一般的です。
このように、ランボルギーニ ミウラの価格は、その当時の生活水準や社会背景と比較しても圧倒的に高く、金銭面だけでなく所有するための環境整備や知識までもが求められる車でした。いわば、資産・技術・人脈のすべてを持つ一部の人にしか許されなかったステータスシンボルであり、「衝撃的な新車価格」という言葉がふさわしい存在です。
現在ではクラシックカー市場で数億円という価格が付くこともあり、その価値はさらに上昇傾向にありますが、それは単に古い車という意味ではなく、当時から非凡な存在であったことの証明とも言えるでしょう。ミウラは今も昔も、選ばれた人しか手に入れることができない「伝説の一台」であることに変わりはありません。
中古市場での動向

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ランボルギーニ ミウラは現在、中古市場でも非常に高い注目を集めています。特に希少な「P400SV」やワンオフの「SVR」などは、オークションや専門ディーラーを通じて取引される際、数億円から十数億円という桁外れの価格がつくことが珍しくありません。
このような高額販売が続く背景には、まず第一にその希少性があります。1966年から1973年の約7年間で生産された総数はわずか760台程度で、そのうち「SV」は約150台に過ぎません。さらに現存し状態が良い個体はさらに少なくなっており、コレクターの争奪戦が起こりやすいのです。
加えて、ミウラは単なるクラシックカーではなく、自動車史における“元祖スーパーカー”としての位置づけが確立しています。技術的・文化的価値が伴うため、価格が上昇し続ける傾向にあり、いくら資金があっても状態や由緒、レストア履歴などによって価格に数千万円〜数億円の差が生まれます。
ただし注意点もあります。購入には高額な取得税や保険料、メンテナンス費用に加え、専門整備の知識や部品調達のネットワークが必要で、維持コストも相応にかかります。さらに、取引そのものがオークション中心のケースも多いため、値動きが流動的です。そのため、「流動資産」という性質も持ち合わせています。
それでもミウラは、投資対象としても自動車愛好家にとっても魅力的な存在であり、中古市場の動きにも目が離せません。将来的に価値が下がるリスクは低く、長期的な価値保全が期待できる一台と言えるでしょう。
日本人オーナーとは

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ランボルギーニ ミウラを所有する日本人は、ごく一部の限られた人物に限られています。その理由は明確で、まず第一にミウラ自体が極めて希少なクラシックカーであり、価格や維持費、保管環境に至るまで非常に高いハードルがあるからです。
過去には、元プロ野球選手である山本昌(やまもと まさ)氏が日本人ミウラオーナーの代表格として知られていました。また、日本国内には名の知れた著名人や実業家、長年のクラシックカーコレクターなどが、非公開でミウラを所有しているケースもあります。そうした個人は、車両を公の場に出すことが少ないため、一般の目には触れにくい存在となっていますが、クラシックカーイベントやオーナーズクラブなどのネットワーク内では確認されていることもあります。
さらに一部のミウラは、かつて博物館やコレクション施設で展示されていたこともあり、日本人が所有しつつも個人の所有というよりは「文化的資産」のような扱いをされていたこともありました。こうした背景もあって、ミウラの日本人オーナーというのは単に“買える”というだけではなく、維持する知識と情熱、そして文化的理解を併せ持つ人物であるという傾向が強いのです。
このように、ランボルギーニ ミウラの日本人オーナーとは、経済的な余裕だけでなく、歴史や機構への深い理解を持ち、情熱を持って手間を惜しまないごく少数の人々によって支えられている存在だといえるでしょう。
ランボルギーニ ミウラは日本に何台あるのか?日本人とその関係性

ランボルギーニ公式
- ランボルギーニ ミウラのスペック
- ミウラと「三浦」の関連は?
- 由来と名付けの背景
- ミウラSVRの特徴と背景
- イオタとの関係は
- 山本昌が語る魅力
- 展示されている場所
ランボルギーニ ミウラのスペック

MOTA公式
ランボルギーニ ミウラのスペックを以下の表にまとめています。
項目 | P400 | P400S | P400SV |
---|---|---|---|
車名 | ランボルギーニ ミウラ P400 | ランボルギーニ ミウラ P400S | ランボルギーニ ミウラ P400SV |
製造年 | 1966~1969年 | 1968~1971年 | 1971~1973年 |
台数 | 約275台 | 約338台 | 約150台 |
ベース車両 | — | P400 | P400S |
エンジン形式 | V型12気筒 DOHC | V型12気筒 DOHC | V型12気筒 DOHC |
排気量 | 3,929cc(4.0L) | 3,929cc(4.0L) | 3,929cc(4.0L) |
最高出力(馬力) | 約350ps / 7,000rpm | 約370ps / 7,500rpm | 約385ps / 7,850rpm |
トルク | 約39.0kg·m | 約39.0kg·m | 約40.0kg·m |
トランスミッション | 5速マニュアル | 5速マニュアル | 5速マニュアル |
駆動方式 | MR(ミッドシップ・リア駆動) | MR(ミッドシップ・リア駆動) | MR(ミッドシップ・リア駆動) |
最高速度 | 約280km/h | 約285km/h | 約290km/h |
車重 | 約1,180kg | 約1,180kg | 約1,250kg |
フレーム構造 | スチールモノコック構造 | スチールモノコック構造 | スチールモノコック+強化シャシー |
サスペンション | ダブルウィッシュボーン(前後) | ダブルウィッシュボーン(前後) | 強化アーム・トレッド拡大仕様 |
ブレーキ | ディスクブレーキ(前後) | ディスクブレーキ(前後) | ディスクブレーキ(前後) |
特徴装備 | 初期型・“世界初のスーパーカー” | 電動ウィンドウ・内装の上質化 | ワイドフェンダー・リアトレッド拡大・最高出力強化 |
ミウラと「三浦」の関連は?

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ランボルギーニ ミウラという名前を見たとき、「三浦」という日本の名字や地名との関係を連想する人もいるかもしれません。しかし、実際にはミウラと「三浦」には直接的な関係はありません。表記がローマ字で「Miura」であることから日本語の「三浦」と同じに見えますが、語源も背景もまったく異なります。
「ミウラ(Miura)」という車名は、スペイン・アンダルシア地方にある闘牛牧場「ミウラ牧場(Miura Ranch)」に由来します。この牧場は19世紀から続く名門で、特に凶暴で勇猛な闘牛を生み出すことで知られており、スペインの闘牛界では非常に名高い存在です。
ランボルギーニ創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニは、自身が牡牛座だったこともあり、牛に強い関心を持っていました。そのため、自社のスポーツカーに“闘牛”をモチーフとしたネーミングを取り入れることにこだわり、「ミウラ」の名を採用したのです。つまり、車名は闘牛文化の象徴としての「ミウラ」に敬意を表したものなのです。
こうした背景から、ランボルギーニ ミウラの名前には、日本の「三浦」氏や三浦半島などの地理的名称とは何の関係もないことがわかります。たとえ偶然発音が似ていたとしても、その名の由来はスペイン文化に深く根ざしているのです。
そのため、日本人にとっては親しみを覚えるような響きであっても、ミウラという名称はイタリア車とスペインの闘牛文化が交差した象徴的なネーミングであるという点を理解しておくと、よりこの名車の魅力が深まるでしょう。
由来と名付けの背景

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ランボルギーニ ミウラという名前には、単なる響きの美しさを超えた、ブランドの哲学と創業者フェルッチオ・ランボルギーニのこだわりが詰まっています。車名の「ミウラ(Miura)」は、スペイン・アンダルシア地方に実在する名門闘牛牧場「ミウラ牧場(Miura Ranch)」から取られたものです。
この牧場は、19世紀から続く由緒ある存在で、特に勇猛な闘牛を育てることで有名です。闘牛士からも畏怖の念を抱かれるほど凶暴な牛を生み出すことで知られ、「最も手強い闘牛」としてその名がスペイン中に知られていました。まさに強さと威厳、そして挑戦の象徴といえる存在です。
フェルッチオ・ランボルギーニは、自身が牡牛座であることから“牛”というモチーフに強いこだわりを持っており、自社の車に闘牛の名を冠することで、自動車における力強さや気迫、男らしさを表現しようと考えました。そこから「ミウラ」という名前が生まれたのです。
また、ミウラという名前は、単に闘牛を象徴するにとどまらず、ランボルギーニが初めて世に送り出した本格的なスーパーカーとしてのスタート地点を象徴するものでもあります。1966年のジュネーブ・モーターショーで正式に発表されたミウラは、その革新的なミッドシップレイアウトと官能的なボディラインによって世界中の注目を集め、一躍“伝説の名車”として知られるようになりました。
つまり、ランボルギーニ ミウラの名には、単なる命名ではなく、ブランドが掲げる「力・美・個性」というコンセプトが込められているのです。この由来を知ることで、単なる車名を超えた“思想”としてミウラという存在を理解できるようになります。
ミウラSVRの特徴と背景

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ランボルギーニ ミウラSVRは、ミウラシリーズの中でも特に特異な存在として知られています。これは、量産モデルではなく、1台限りの特別仕様車として誕生したカスタムモデルです。SVRとは「Spinto Veloce Racing」の略とされており、レース用にチューニングされた仕様であることを示しています。
このモデルが誕生した背景には、1970年代に人気を集めていたミウラの特別仕様車「イオタ」の影響があります。イオタは、ランボルギーニのテストドライバーが開発したプロトタイプでしたが、事故で失われてしまいました。その後、イオタに魅了された顧客からの強い要望を受けて、ランボルギーニが再現に近い形で製作したのがSVRです。
SVRのベースとなったのは通常のミウラP400Sでしたが、そこにレース仕様のエアロパーツやロールケージ、固定式のリアスポイラー、大型ホイールなどを装備し、まったく別物のような外観と性能を持つ車へと変貌を遂げました。エンジンも強化され、より高回転型のセッティングが施されています。
特筆すべきは、SVRが日本と深い関わりを持つ点です。この唯一のSVRは最終的に日本に渡り、長年にわたって国内で大切に保管・管理されてきました。さらに1980年代には、当時日本で人気を博していたアニメ「サーキットの狼」に登場したことで、国内外でさらに注目を集める存在となりました。
現在では、オリジナルのSVRは世界に1台しか存在しないため、その希少性は非常に高く、コレクターズカーとしての価値は計り知れません。近年レストアが施され、再び世界中の注目を集めたことも記憶に新しい出来事です。
このように、ミウラSVRは、ファクトリーメイドのミウラの中でも極めて特別な仕様であり、その誕生の背景から技術的な特徴、文化的影響に至るまで、語り継がれる存在となっています。
イオタとの関係は

MOTA公式
ランボルギーニ ミウラと「イオタ(Jota)」には、非常に深い技術的・歴史的なつながりがあります。両者は別のモデルでありながら、イオタはミウラの進化形として開発された“実験車両”であり、その存在はミウラの技術革新に大きな影響を与えました。
イオタの誕生は1970年ごろ。開発を主導したのは、当時ランボルギーニのエンジニアだったボブ・ウォレスです。彼は「市販車であるミウラを、もっとレーシングマシンのような仕様にできないか」という構想を持ち、社内の試作部門で極秘的にプロジェクトを進めました。こうして完成したのが、ミウラをベースとしたワンオフモデル「ミウラ イオタ」です。
この車両は、軽量化のためにアルミボディを採用し、足回りや空力性能、シャシー剛性にも大きな改良が加えられました。見た目も攻撃的で、ルーフ上のNACAダクトや大型のエアインテークなど、レーシングカーらしい要素がふんだんに盛り込まれていたのが特徴です。
しかし、イオタは市販されることはなく、試作車1台が完成したのみです。この唯一の個体は後に事故で焼失し、現存していません。それにもかかわらず、イオタの存在はファンの間で伝説となり、多くの注目を集め続けています。
このイオタのコンセプトは、後に登場する「ミウラSV」や、特別仕様として製作された「ミウラSVJ」「SVR」などの派生モデルにも影響を与えました。特にエンジンの強化やサスペンションの見直し、オイル潤滑方式の分離(スプリットサンプ方式)などは、イオタの技術成果を活かした要素といえます。
つまり、イオタは単なるカスタム車やコンセプトカーではなく、ミウラの限界性能を引き出すための開発ベンチだったとも言えます。そしてその挑戦的な設計思想が、ミウラという名車にさらなる深みと完成度を与える礎となったのです。
このように、ランボルギーニ ミウラとイオタの関係は、“試作”と“完成品”という立場を超えて、相互に影響し合う進化の軌跡ともいえるでしょう。イオタの存在を知ることで、ミウラに込められた技術と情熱の奥行きがより鮮明に感じられるはずです。
山本昌が語る魅力

MOTA公式
元プロ野球選手・山本昌氏は、かつて日本でも数少ないランボルギーニ ミウラのオーナーとして知られていました。彼が語るミウラの魅力には、単なるスーパーカー愛好家としての視点を超えた、深い敬意と情熱が感じられます。
ミウラは山本氏にとって「人生で一度は手に入れたい車」でした。現役時代は憧れの存在でしたが、引退後にその夢を実現し、約20年間にわたって所有していました。特に魅力を感じたのは、1960年代に作られたとは思えない美しいボディラインと、ミッドシップに搭載されたV12エンジンの圧倒的な存在感でした。彼はこれを「魂のこもった造形」と表現しています。
所有していた当時は、ミウラを“生かす”ことにもこだわり、定期的にエンジンをかけて走らせたり、信頼できる整備士と連携して常に良好な状態を保つよう努めていました。山本氏は「クルマは乗ってこそ意味がある」と語り、単なる所有ではなく、“共に時を過ごす”という姿勢でミウラに向き合っていたそうです。
YouTubeチャンネルやクラシックカーイベントでは、当時のミウラに関する整備内容や走行の印象などが紹介され、「本当にクルマが好きなのが伝わる」と多くの視聴者から高い評価を得ていました。
現在は、ミウラからフェラーリ・ディーノ246GTに乗り換えており、ブルーのボディにレストアを施した美しい個体を大切にされています。しかし、ミウラは山本氏にとって、今でも特別な存在であり、少年時代の夢を叶えてくれた“走る芸術品”であったことに変わりはありません。
このように、山本昌氏のクルマに対する向き合い方は、情熱と知識に裏打ちされており、多くのクルマ好きにとって共感と憧れの対象となっています。
展示されている場所

ラグジュアリーモーターズ・イメージ
ランボルギーニ ミウラの実車を見ることができる機会は限られていますが、国内外の一部施設やイベントでは、その貴重な姿を間近で鑑賞することが可能です。特にクラシックカーに関心がある人にとっては、実物を見られる展示は極めて貴重な体験になります。
まず、日本国内で最も知られているのは、かつて「ランボルギーニ ミウラ SVR」が長年展示されていた茨城県の「スーパーカーミュージアム」です。この施設では、希少車を中心にコレクションされていたこともあり、多くのスーパーカーファンが訪れていました。現在は常設展示を終了している可能性があるため、訪問前に情報を確認することが重要です。
また、東京や名古屋、大阪などで開催されるクラシックカーイベントやスーパーカーショーにおいて、個人所有のミウラが特別展示されることもあります。これらのイベントでは、オーナーが自慢の1台を披露する場として、希少車の出展が行われるため、運が良ければミウラを目の当たりにするチャンスもあります。
さらに、海外に目を向けると、イタリア・サンタアガタにある「ランボルギーニ博物館(MUDETEC)」では、ブランドの歴史的モデルとしてミウラが定期的に展示されています。この施設では、初代P400からSVに至るまで、さまざまな仕様のミウラを見ることができるため、ファンには聖地のような存在です。
そのほか、RMサザビーズなどが主催する国際オークションやコンクール・デレガンスといったクラシックカー関連イベントにおいても、希少なミウラが展示されることがあります。特に「ヴィラ・デステ」や「ペブルビーチ」といった一流イベントでは、美術品のように扱われるミウラの存在感が際立ちます。
このように、ランボルギーニ ミウラの展示は限られていますが、ミュージアムやイベントを通じて出会える機会はゼロではありません。確実に見たい方は、各施設やイベントの展示予定を事前に確認するのがおすすめです。展示されるたびに注目を集める名車だけに、その姿は一度見たら忘れられないインパクトを残します。
ランボルギーニ ミウラは日本に何台あるのかと日本人の所有者についてを総括
記事のポイントをまとめます。
ランボルギーニ ミウラは1966〜1973年にかけて約764台が生産された
内訳はP400が約275台、P400Sが約338台、P400SVが約150台
日本に現存するミウラは10〜20台未満と推定されている
日本で正規輸入されたのは主にP400Sで数台のみ
P400SVは日本に正規輸入されておらず極めて希少
並行輸入や後年の個人輸入によって一部が国内に存在
特別仕様のミウラSVRも日本に存在し世界で1台の貴重な個体
ミウラは非公開のプライベートコレクションとして保有されるケースが多い
クラシックカーイベントやオークションで確認される個体もある
日本での目撃情報は少なく、実車に出会える機会は非常に限られる
日本人オーナーは著名人や実業家、クラシックカーコレクターが中心
山本昌氏はかつてミウラを長年所有していた日本人として広く知られている
保有には購入費だけでなく、整備・保管環境・知識も求められる
日本国内でのミウラは“文化資産”として扱われることもある
オーナーの多くは情熱と責任を持ってミウラの価値を守っている
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